仕事を辞めて1年朝から晩までゲームに明け暮れていた俺。妻&妻両親「悪いが離婚してくれ。荷物はもう運んである」俺「悪かった!お前がいないと生きていけない」←もはや時既に遅し・・・

2017年5月7日 カテゴリ:自分語り

1 :キチママさん 2015/12/19(土) 15:58:50.65 .net
きっと一方的に離婚話をされるんだ
落ち着かない
別れたくない
娘と会えなくなるのだけは嫌だ



2 :キチママさん 2015/12/19(土) 16:16:26.82 .net
kwsk聞きたいな
4 :キチママさん 2015/12/19(土) 20:46:00.07 .net
嫁が好きだから離れたくないじゃなくて娘なのか
子供って足枷なんだな
5 :キチママさん 2015/12/20(日) 01:31:15.69 .net
先ほど、泣きながら離婚届に判を押しました。

ずいぶん時間が立ったけど、ひとしきり泣いて落ち着いたので経緯を書いていきたいと思います。

妻を非難するつもりもない。
自分が悪いことは理解ってるから。
誰になんと非難されても仕方ないと思ってる。

でも妻の行動は普通なのか、突然の離婚話でその日に判をしてしまったことは間違ってなかったのか、
みなさんの意見を聞きたいです。

6 :キチママさん 2015/12/20(日) 01:43:18.43 .net
ここはID無いんですね。

予想通りの展開でした。
妻の両親が現れて、「結論から言うと娘と離婚してくれ、これは決定事項だ」と離婚届けを突きつけられました。

妻は今朝早く、私がまだ寝ている隙に自分と娘の荷物のほとんどをまとめて出て行きました。
妻はペーパードライバーなので、荷物を運んだのは妻の両親の車だと思います。

妻の両親は2ヶ月ほど前に、以前住んでいたアパートから少し広い市営住宅に引っ越していました。
自分たちの元に戻ってくる娘と孫を一緒に住まわせる為だと思います。
私がそれを知ったのは、8才の娘が私の前でうっかり口を滑らせたからです。
妻はきっと私には内緒にするつもりだったんだと思います。

私の知らないところで、妻と妻の両親は離婚に向けてしっかり準備を進めていました。
私のいないところで離婚をもう決定していました。

私と妻の問題なのに。
家族の問題なのに。

7 :キチママさん 2015/12/20(日) 01:53:50.95 .net
妻が離婚を決めた一番の理由は、将来への不安でした。

私は今、43才。1年前に10年以上務めた会社を辞め、それから働く気力を無くし働こうともしないまま1年が経ちました。
妻は39才、娘は来年8才になります。

私が1年間働かなかったせいで財政は底を尽き、もともと昼間のパートをしていた妻は夜のアルバイトまで始めました。
そんな妻を横目で見ながら私は何もしないで朝から晩までゲームに没頭していました。
年頃の娘が側で見ているのに、私は現実が受け入れられず、こうなるまで逃げ続けていました。

そんな不憫な娘を救いたい一心で妻の両親はこの計画を練り、実行したんだと思います。

8 :キチママさん 2015/12/20(日) 02:04:20.94 .net
今、妻に居なくなられたら、私は生きていけなくなる。
私は妻に甘えてばかりで、妻を思いやることも忘れていました。
それに気づいていながら、甘え続けていました。
一家を支えなければいけない夫がこんな男では、妻が逃げたくなるのも無理はないです。

妻の父親に決定事項だと離婚届けを突きつけられ、私は固まってしまいました。
妻と、妻の父親に人生で初めて本気で土下座をしました。
やり直すチャンスが欲しい、心を入れ替えて働くからやり直して欲しいと訴えました。

ですが、もうやり直せないところまで来ていました。
私は妻からも父親からも信用を失っていました。
1年間も働こうとしなかった男が、こうなって初めて改心すると言ったところで信用されるはずがありませんでした。

9 :キチママさん 2015/12/20(日) 02:19:53.30 .net
私たち夫婦は、私の実家で私の母と同居していました。
年老いた母をひとりにしたくないという理由で、結婚当時に私から妻に出した条件でした。
母からたまに食費の援助をもらうことはありましたが、結婚してからは自立の為、
家にかかる生活費等は全て名義を変え、私たち夫婦が払うようにしました。

最初はうまくいっているように見えた妻と母でしたが、実際のところ妻は私の母を快くは思っておらず、
子供が生まれた頃から、家を出て娘と3人で暮らしたいと言うようになりました。
時には泣きなが訴えていました。
私は最初の約束だからとそれを拒み続けました。
妻の気持ちも考えず、わざわざ家賃の掛かるところに移って生活しなくても、実家であれば家賃は掛からないし、
その分生活は楽になる、私はそう考えていました。

そうして徐々に私たち夫婦の関係は歪んでいきました。

10 :キチママさん 2015/12/20(日) 02:36:47.12 .net
狭い家に住んでいながら、家庭内別居のような状態でした。
時間が合えば一緒に晩御飯の食事を摂る、その時に少し会話するだけでした。

妻は、休日は家を出てどこかに出掛けたい人で、私は逆に休日くらいは家でのんびりしたい人間でした。
だからいつも、どこかに行きたいと言われても嫌がり出掛けようとはしませんでした。
いつしか妻はそんな私を見限り、私を置いて実家の両親の元に向かい、両親と出掛けるようになりました。
娘が生まれてからは娘を連れ、私に声を掛けることもなく、行き先だけを告げて出掛けることが多くなりました。

ある時は娘の誕生日パーティーは実家ですると言われ、ある時は身内での小旅行の計画に
私は初めから含まれていませんでした。

自分が蒔いた種でしたが、私を無視する妻を見て私は寂しく思っていました。
この家族に自分は必要ないんじゃないか、お金だけ稼いでくれば私は要らないのではないかと悩みました。
ですがそれでも自分の態度を変えるとこが出来ませんでした。

そして根拠のない自信を持っていました。
どんなに冷めた夫婦関係のように見えても、私は妻を愛しているし、妻が私から離れるはずがないと。
一緒に生活していることに安心し、安心の上にあぐらをかいていました。

全て自分のせい。
全て私が悪い。

11 :キチママさん 2015/12/20(日) 02:48:40.33 .net
働かなくなって稼ぎがなくなっても、しばらくは妻は頑張っていてくれました。
いつか私が自分から行動して働きに出ると信じてくれていました。

でも私は働けなかった。
働く意欲を無くしてしまった。
40を過ぎて会社を辞め、特別なスキルも学歴もない自分が働けるような場所が世間にあるのかと、
辛い思いはしたくないと、ただ不安で逃げていました。

妻が大切だと思う気持ちはありました。
娘を愛する気持ちも人並み以上にあると感じていました。
それなのにこれだけ妻に我慢させ続け、挙句の果てには仕事を辞めて働きもせず、
妻にばかり生活の苦労を負わせて、娘にも悲しい思いをさせ続けていた。

私はただ妻に依存していただけなのかもしれません。
夫としても娘の父親としても最低でした。

これじゃあ逃げられても仕方ない。

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